昭和回帰考2007年12月25日

ちょっと毛色の違うネタで。
「三丁目の夕日」のヒットも手伝って、昭和ブーム真っ只中ですよね。私は昭和38年東京足立区西新井の生まれなので、高度経済成長期の真ん中が幼少期でした。3~4歳位の時の記憶でしょうが、やけに杭打ち機のあのコ~ンコ~ンという音が遠くでしていたのが思い出されます。都営団地建設があちこちでやられていたので、その音だったのかも知れません。あの当時、西新井は田んぼもあったし、駅の東側はヨシ原だったように思います。「三丁目の夕日」の舞台とは違い、随分田舎だったようです。

さて、昭和ブームというか回帰というか・・・。何故、今なのでしょう?諸説ありますが、私の感じているところでは、日本の社会にある全てのモノのサイクルが速過ぎて、その速さは人間が付いて行ける限界にきてしまったのではないかと。モノのライフタイムも情報伝達の速度も、ゆっくり吟味する時間を与えてくれない位、次から次へ押し寄せてくる。しかも、人同士のコミュニケーションが少なくなっているせいもあり、対峙する相手に見下されないように、トレンド情報をどれほど持っているかが、相手の評価尺度であるかのようになっているのではないかと。そんな若手をしばしば目にします。
まぁ、私は面倒くさがりなので自分に必要な情報しか集めません・・というか、そんな様々な最新情報を集められる気力も才能も無いのですが・・。
おじさん達は、そんな若手の動きに付いて行ける筈もないのに無理して合わそうとする。結局会話に疲れた割には中身の無い内容だったりして、そんな時、ふと質実剛健であった昭和を懐かしむんでしょう。

昭和の時代は「1億総中流化」を目指した時代。多少の上下はあっても経済は右肩上がりでした。でもバブル崩壊から、その頂から転げ落ちる一方となった今、前向きでいられた昭和の良き時代を知っているおじさん達は、あの頃に戻りたいんでしょう。
それと、昭和は今ほど多種多様な商品もサービスも無かったから、世の中には、限られた選択肢しか無かったですよね。皆が同じような方向に向きやすかったのでしょう。つまりは、目に見えぬ一体感みたいなものが他人同士あったように思います。そんな安心感が昭和にはあったのかも知れません。

どんな「サゲ」にしようか決めないでここまで書いてきてますが、結局は、精神的に余裕を持ちたいという現れなのだと思います。でも、どうしても逃れられない現実がある。それはそれは様々な現実があると思います。

でもね。もし、今の仕事、生活を変えてしまおう・・・というシュミレーションができるのなら、ご夫婦でやってみるのも面白いですよ。実現なんかしなくてもイイんです。自分達にどういった才能があって、どんな可能性があるのか、真剣に電卓はじきながらこの先の生活を考えてみるのは決して無駄ではないと思います。あと何年生きられるのか勘定してみてください。意外と短かかったりするんです。今、ここで、昭和という時代に育てられて来た自分と対峙する時だと思うんですよ。私はね・・・そう思う。

ニッポン無責任時代 「三丁目の夕日」ではCGであの頃を再現していますが、セットでは無いその当時の東京を写し、高度経済成長期の日本を表現したような映画が「ニッポン無責任時代」に代表されるクレイジーキャッツの喜劇作品。「ニッポン無責任時代」は1962年の作品。まだ都電が走っている数寄屋橋交差点を観る事ができますし、当時のフィルム映画独特の色彩や空気感が、これまた観ていて懐かしい感じになりますね。





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